「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
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◆ハートレーのバイオリン◆(タイタニック就航101周年記念)

映画・小説・ドキュメンタリー、タイタニックで描かれる数々の名シーンの中、人々の心に最も残るお話の一つに、沈没間際まで演奏を続けた楽師(ミュージシャン)たちのストーリーがあります。キャメロン監督『タイタニック』でも、事故直後人々を落ち着かせる為に演奏を始め、混乱が進む中一旦は解散しかかるのに、ハートレーがまた弾き始めると仲間ももう一度戻り演奏を続け、いよいよ海水が押し迫った時に「Gentlemen, it has been a privilege playing with you tonight.」といって仲間に最後の別れのセリフをつげるシーンを思えていらっしゃる方も多いのではないでしょうか。バンドマスター、ウォレス・ハートリーさん、享年33歳。彼が、あの夜、タイタニックの船上で沈没間際まで奏でていたバイオリンが見つかったというニュースが発表されました。
ハートレーさんの伝説のバイオリン、100年を過ぎてなお私たちの心を惹きつけてやまないタイタニック・ストーリに、また新たな1ページが追加されました。今年のタイタニック・アニバーサリーはこのバイオリンにまつわるレポートをお届けします。

2013年3月15日、英国の競売会社「ヘンリー・オルドリッジ・アンド・サン」が、タイタニックのバンドマスター、ウォレンス・ハートレーが沈没した時に演奏をしていたバイオリンを発見、というニュースを発表しました。バイオリンは2006年に、現在の持ち主から同社に依頼、約7年の年月と、数千ボンドの費用をかけて調査を行い、その結果、本物である、と証明されました。調査には、政府関係機関、大学など研究機関を含む多くの専門家、科学者があたり、厳密な調査が行われました。バイオリンはどのように発見されたのでしょうか。

1912年4月15日の事故の後、マッケイ・ベネットなど4隻の船がカナダ・ハリファックスから沈没現場に派遣され、遺体の回収作業にあたりました。亡くなった8人のバンドメンバーのうち3名が発見され、他の遺体と同様に番号が振られて(※下記備考欄)、ハリファックスに移送されました。乗客・クルー全体の遺体回収率が20パーセント以下であることを考えると、彼らはやはり最期まで一緒にいて、沈みゆく船上で共に演奏をしていたのだと考えられます。

■バンドメンバー
名前 年齢 担当 備考(※)
Mr W.Theodore Ronald BRAILEY 20 ピアノ  
Mr Roger Marie BRICOUX 24 チェロ  
Mr John Frederick Preston CLARKE 30 ベース #202
Mr Wallace Henry HARTLEY 33 バンドマスター(バイオリン) #224
Mr John Law HUME 21 バイオリン #193
Mr Georges Alexandre KRINS 23 バイオリン  
Mr Percy Cornelius TAYLOR 32 チェロ  
Mr John Wesley WOODWARD 32 チェロ  

ハートレーのバイオリンは、旅行用のカバンの中にあり、カバンは身体に紐で結ばれた状態で発見された、と伝えられます。ライフジャケットの上から、肩のあたりでそのカバンを結びつけていたそうです。皮製のそのカバンには、W.H.Hと刻まれています(Wallace Henry HARTLEY)。彼の遺体は、カナダ・ハリファックスから故郷のイングランド、ランカシャー州コルネへ帰り、ここで埋葬されました。上記#224の遺体発見時の書類には、バイオリンの記述はありませんでした。しかし、当時の新聞に”彼はバイオリンと共に発見された”と報道されていました。さらに、ハートレーのフィアンセ、マリア・ロビンソンの日記から、バイオリン発見と返還ついてカナダの機関へのお礼に関する記述も見つりました。弓は見つかりませんでした。

Rosewoodでできたバイオリンは、10日以上も海水に浸り漂流していたわりには状態は良く、目に見える損傷は水分による2つの長い亀裂のみです。海水についても調査対象となりました。遺品には、彼の母親からの手紙もありました。

マリア・ロビンソンはハートレーの婚約者で、事故の2年前の1910年に婚約しました。事故の後は一生独身を通し、1939年に胃がんで亡くなっています。発見されたバイオリンには彼女がハートレーに婚約の記念にバイオリンを贈った際に付けた銀製のプレートがつけられており、まさにこれが、ハートレーのバイオリンであることの重要な証拠の一つとなりました。Base Plate上のFish Plateは1910年に作られたもので、刻印のスタイルも当時のものであることを示しています。そしてそこにはこう書かれていました。

“For Wallace / On the occasion of our engagement / From Maria”
「ウォレスへ 婚約の記念に マリアより」


 

彼女が亡くなったあと、姉妹のマーガレットは、遺品の中からこのバイオリンの入ったカバンを見つけますが、その重要性をあまり認識しないまま、地元バーリントンの救世軍(Salvation Army)のレンウィック少佐に由来を伝えてを寄付しました。レンウィック少佐は、彼の部下である、音楽教師(アマチュア音楽家)に渡します。レンウィック少佐は、最初、このバイオリンは、弾くことができると考えていたようですが、音楽教師は生前「その劇的な一生のために、事実上、演奏不可能」という手紙をバイオリンと共に遺します。

そしてこのバイオリンとカバンは音楽教師であった母親からに息子に引き継がれ、2006年、屋根裏からこれらが発見された、ということです。原所有者である息子さんが、デビスの競売会社ヘンリー・オルドリッジ・アンド・サンにコンタクトをして、長く、厳しい調査が始まり、その結果、本物であることが証明されたのです。

バイオリンは、2013年3月現在、タイタニックの生まれ故郷でもあるベルファストの、市庁舎に展示されているそうです。その後、ヘンリー・オルドリッジ・アンド・サンにて競売にかけられるそうです。しかし、競売にかけるのではなく、タイタニックの歴史を語る最も重要な文化遺産として、世界中の博物館を廻るようななったらどんなに素晴らしいでしょうか。多くの関係者などが交渉にあたっているようですが、現時点では、明らかではありません。今後の動向に見守りたいと思います。


 

 

次の100年に向け、タイタニック・アニバーサリー101周年に寄せて
智恵

 

 


追記:「タイタニックのバイオリン、落札の瞬間」掲示板(2013年11月 9日)より転記

楽しかった連休も終わってしまい、11月も第2週、ひゅるるぅぅ〜
そろそろコートの季節になってしまいましたが、皆様、如何お過ごしですか?
先月、hosonoさんから貼り付けてもらった、伝説のバンマス、バイオリニスト、ハートレーさんのバイオリンのオークション、
結果が出ていました!
90万ポンド(170万米ドル(約1億6660万円)以上)、10分ほどだったらしいっす・・・
落札者は明らかにされていないようですが、
ハートレーさんの物語と一緒に、大切に、大切に伝えていってほしいですね♪

@動画(英国BBC)、落札の瞬間デス☆ Titanic violin fetches £900,000 record price

A日本語ニュース
タイタニック号のバイオリン高値落札、沈没寸前まで演奏続け

タイタニック号と沈んだバイオリン、博物館で展示へ(写真あり)




Sources:
Auction house: We found Titanic violin (15 Marchl 2012, AP News)
Titanic disaster: Riddle of violin link to band leader(15 March 2013, BBC News)
Titanic violin owned by band leader has surfaced(18 March 2013, The Washington Times)
Reputed "Titanic violin" to be put up for auction(23 April 2013, CBS News)
www.encyclopedia-titanica.org
Musicians_of_the_RMS_Titanic[wikipadia]

 

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