「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
タイタニック就航100周年  タイタニックのクルーたち
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◆機関士長ジョセフ・ベル◆
(Chief Engineer Joseph Bell)

”...they were released from duty by Chief Engineer Bell... None of them left the engine room.”

 

タイタニックの機関長ジョセフ・ベルは1861年5月英国カンバーランド州メリーポートで生まれた。 北部カンブリア州カーライルにて初等教育を受ける。北東部タインのロバート・テファファンソン社にて船乗り見習い をはじめ、リバプールのラムポート&ホート汽船にて1883年より乗船勤務。1885年からホワイト・ スター汽船に入社、以降ニュージーランド〜ニューヨーク航路の船に乗船・勤務した。30歳で機関長 (チーフ・エンジニア)に昇格、数々の船で経験を積む。1911年オリンピックへ乗船。当時はリバプール(グレイト・クロスビー、ベルバイディア通り1番)に住んでいかが、 サウサンプトンにも仮住まいがあった。 そしてベルファストで建造にも加わっていたタイタニックへ。


タイタニックは出港日から徐々にスピードをあげていった。「タイタニックは新しい船だったので、われわれは 徐々に慣らしていったのです。」(B・イスメイ アメリカの査問会より)
4月14日午後11時40分、氷山衝突後、ブリッジからの命令で直ちに機関を”停止(Stop)””全速後進(Full Astern)” を命じた。その後彼と機関室・ボイラー室のメンバーは出来る限り電力を維持させる為に懸命に作業を続けた。照明の明かりを灯し、 ポンプを稼動させ、無線を機能させる為である。又、ボイラーが海水にふれた時の爆発を防ぐために、 炉の石炭を必死でかき出す作業も行われた。
機関長ベルは午前2時すこしまえに、34名の機関士・機関士助手ら(電気技師、配管工、機械技師ら)を職務から解放したが、誰一人機関室を 離れなかった。ベルは彼らと共にタイタニックで最期を迎えた。
 

ベルには妻マゥドとの間に4人の子供たち(二男二女)がいた。長男(16歳)はハーランド・アンド・ウルフ社 で見習いを始めたばかりで、タイタニックのベルファストからサウサンプトンへの移動時には父ベルと一緒に乗船したのであった。
ベルの家族が礼拝していたグレイト・クロスビーのセイント・ファイス教会には、彼をたたえる記念碑が残されている。 又、彼ら勇敢なクルーをたたえる為に、時の国王ジョージ五世はイギリスの船舶機関士がローヤル・パープルを背景にした階級章を 付ける事を許可した。
ジョセフ・ベル、享年51歳。  

 


二等補助機関士のジェームス・ヘンリー・ヘスキス(左)は、火夫バーレットと共に、
最初に海水がなだれ込んだ第6ボイラー室の当直であった。
享年 33歳。 

 

ジョセフ・ベル 生年月日:1861年5月生まれ。
事故当時:51歳。死亡。
出身:英国 カンバーランド州メリーポート生まれ
給与:6457ポンド2シリング10ペンス/年
資格:船舶機関士協会会員、英国海軍予備役
履歴:
1883年   のラムポート&ホート汽船(リバプール)
1885年   ホワイト・スター汽船 (ニュージーランド〜ニューヨーク航路)
1891年   機関長(チーフ・エンジニア)
1911年   オリンピック
1212年   タイタニック
 
 
 
 
 

デッキのように、いざとなったら飛び込んでと泳いで助かる見込みもある場所から遠く離れた、 はるか下の船内にとどまり、そして船が沈んだら・・・間もなく沈むに違いない事を彼等は知っていたが・・・ とても間に合うように海に脱出できる望みの無いことを知っていながら、最後の瞬間までデッキを 明るく保つためにエンジンを動かしつづけるのは、崇高な勇気を要することだった。
しかしこの勇気はすべての機関士に要求されるのもであり、決してその名前で呼ばれるものでは なかった。それは「義務」という名前で呼ばれた。エンジンの側に最後の瞬間まで留まるのが、彼等の 義務だった。タイタニックの機関士たちが、船がすっかり傾いて、ついにエンジンもろとも船の 端から端まで投げ落とされるまで仕事から離れなかったことを思えば、義務をみごとに遂行 させた最高の勇気を示すものとして、これ以上のものはあるまい。
(ローレンス・ビーズリー「タイタニックの悲劇」[SOSタイタニック号 収録]より)
 
 
 
 
 
 
 
 

Photo credits / Specail thanks to
; Dr Denis Griffiths "Maritime Engineering Historical Research";<参考文献>

Written by Chie OGATA


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