「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
 タイタニックのクルーたち
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◆タイタニック唯一の日本人乗客細野氏の手記◆(2005年)

 

横浜市西区の横浜マリタイムミュージアムにて、タイタニック唯一の日本人乗客で事故から生還した故細野正文氏による、タイタニック沈没直後の様子を綴った手記が公開されています。細野氏は当時鉄道院の副参事(国家公務員)としてロシアに2年滞在、その後ペテルスブルグで鉄道の研究に従事、そして知人のいるロンドンからニューヨーク経由で日本に帰る時に事故に遭ったそうです。細野氏は二等船客でした。

この手記は

1.事故直後の、当日14日から18日まで、救助船カルパチアの船上で書かれ、記憶が非常に鮮明な時期に書かれた。切迫した極限の状況を伝える数少ない資料。

2.記した便箋は、タイタニックに備え付けの便箋(タイタニック純正品)

3.内容は、それまで欧米の資料による研究が中心だったところへ、新たな一石を投じる結果となった。例えば「救命ボートにこっそり乗った卑怯者は”中国人か日本人”」といった誤解や偏見に満ちたそれまでのタイタニック・ストーリーが書き換えらる結果となった。

という点において、非常に貴重な史料的価値の高いものです。

ちなみに、 

4.細野氏が救出されたのは10号ボートで、担当士官は右舷側を主に担当していたライトラー二等航海士と思われる。その他、ロウ五等航海士やワイルド航海士長。

5.10号ボートはその後14号ボートを指揮したロウ五等航海士により、沈没後に、4号、10号、12号、折畳み式ボートD号と共に、 小船団をつくった。ロウ航海士は乗客たちをひとまとめにした後に、自分と数人のクルーで14号ボートにて沈没現場に引き返し、海中から数名を救助。(引き返したのは彼の14号ボートのみ。余談ではあるが、このエピソードがキャメロン監督の「タイタニック」のヒロイン救助のシーンにつながっている。)

6.細野氏補足

1870年10月15日(土曜日)生まれ、事故当時は41歳。
生還後は当時の風潮や誤解などから攻撃され、又、氏も何一つ言い訳など詳しく語ろうとせず、ついには役職から退く。(嘱託となったらしい。)
1939年3月14日(火曜日)没。享年68歳。

 

今回はご遺族の方のご意向(寄託)という形での公開だそうで、タイタニック関連の写真や資料も一緒に展示されるそうです。

タイタニック生還者の「生の声」が、翻訳などを通さずに日本語で聞ける(見れる)又と無い機会です。
皆様、是非、お運び下さい!そしてタイタニックにおける「大和魂」を感じ取ってください!

(第一稿 2005.2.25)

 

このページでは、皆様からの展示会へ行ったレポートや感想、追加情報などもお待ちしています。
掲示板にお気軽にどうぞ!

 

横浜マリタイムミュージアム特別展示室にて特別公開
「タイタニック日本人生存者の手記」

日時 2005年2/19(土)〜4/10(日)
休館日などは各自事前に下記サイトにてご確認下さい。
交通 みなとみらい線「みなとみらい駅」より徒歩約5分 または
JR根岸線「桜木町駅」より徒歩約5分
地図

下記参照(by Yahoo!Japan様)
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.27.00.433&el=139.38.10.275&la=1&fi=1&skey=%b2%a3%c9%cd%a5%de%a5%ea%a5%bf%a5%a4%a5%e0%a5%df%a5%e5%a1%bc%a5%b8%a5%a2%a5%e0&sc=3

入場料 大人600円、小中学生300円
サイト

帆船日本丸記念財団ホームページ
http://www.nippon-maru.or.jp/

 

 


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