「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
タイタニック就航100周年  タイタニックのクルーたち
 ホーム サイトマップ  掲示板 ブリッジ 航海士 機関室 設計士  タイタニック  映画情報 コレクション 特集 AboutMe
航海士メニュー>> 航海士一覧 スミス船長  ワイルド航海士長  マードック一等航海士 [詳細]
ライトラー二等航海士  ピットマン三等航海士  ボックスホール四等航海士  ロウ五等航海士  ムーディー六等航海士 

 

◆ハロルド・ゴッドフリー・ロウ五等航海士◆
(Fifth Officer Harold Godfrey Lowe)

”You will have me drown the whole lot of them !”

 

 
ハロルド・ゴッドフリー・ロウは1883年秋、北ウェールズの街デギャウェイで生まれた。彼が14歳の時に父親はリバプールの商人のところへ見習い奉公に連れていったが、「誰かの為に働くなんてごめんだ。」と言って、船乗りへの道を選んだ。西アフリカの海岸でスクーナー船(通例2本マスト、時には3本マスト以上の縦帆式帆船)、横帆式帆船などで経験を積んでいった。

1911年、ホワイト・スター汽船へ、最初は熱帯地方の航路にで三等航海士として乗船勤務した。後に、”Belgic”の三等航海士となり、そして1912年タイタニックへ。

この熱血漢の若い航海士にとって、大西洋横断航路は初めての事であった。
また、航海士のメンバーも、彼にとっては、初顔合わせとなる。航海士長ワイルドと一等航海士マードックが’OIympic’から、 二等航海士ライトラーと三等航海士ピットマン、五等航海士ムーディが’Oceanic’からタイタニックに就任した。



氷山追突時には、彼は非番で眠りに就いていたが、騒がしい外の様子で起き、制服を着て、あわててデッキに飛び出した。
救命ボートでの避難誘導の時には、最初は船の右舷(マードック監督)を、後に左舷(ワイルド、ライトラー監督)を補佐。
救命ボート14号の責任者として乗り込む。ボートが下ろされる時飛び乗ろうとした乗客を威嚇する為に、 本船とは反対側の外に向けて、発砲。
船が沈没した後、救命ボート4号、10号、12号、折畳み式ボートD号をロープでつなげ、 小船団をつくった。そして乗客を移し替え、14号で数人の乗組員と共に、海上に漂う人々の救出に向かった。 人々の声が静まるまで待ったとはいえ、救出に向かった唯一のボートであり、少なくとも三人が助かっている。
また、夜明け前に折り畳み式ボートA号を発見し、浸水のひどかったA号から乗客約13名を14号に移し、救助した。昔の経験から自分の救命ボート14号にマストを取り付け帆を張り、4ノット近いスピードを出す事ができ、これらの救助に大変役に立った。午前7時前、カルパチアに引き上げられた。




事件後、彼は他の航海士とともに、アメリカ及びイギリスでの査問会に出て、事件についての証言をした。
イギリス、北ウェールズの故郷の街Barmouthから、その積極的で勇敢な彼の救命活動によって、金製の時計を授与された。

その後、彼はホワイト・ライン・スター社の’Medic’に三等航海士として乗船。しかし、この時はまだわからなかった事だが、 彼のホワイト・スター・ライン社でのキャリア・アップは収束して行く。 他の生還した航海士たちと同様に、彼らは、決してキャプテン(船長)になることがなかった。

第一次世界大戦(1914年〜1918年)の時には、英国海軍予備役(Royal Navel Reserve)の、指揮官として活躍。 そして戦争終結後まもなく、彼は長かった船員生活に別れを告げ、北ウェールズに戻り、役所に勤務した。 この頃結婚し、息子のハロルド・W・G・ロウは、現在オーストラリアで健在である。
第二次世界大戦(1939年〜1945年)中、彼はボランティアとして積極的に働いた。 彼の家を防御地区特別ポストとして提供し、健康状態があまり良くなかったにもかかわらず、その仕事を最期まで続けた。

1944年5月12日、没。享年61歳。 生前は、タイタニックでのあの夜の出来事を、あまり人には話さなかった。彼の眠る墓地(The Parish Churchyard, Llandrillo, Wales)の墓石のにも、 タイタニックのことには触れていない。




 

 

生年月日:1883年秋(詳細不明)
事故当時:29歳。救命ボート14号にて生還。
出身:イギリス ウェールズ Deganwy
給与: 8.10.00ポンド/月
履歴:
(〜1911年まで  アフリカ西海岸にて、帆船等で勤務)
1911年  Bekgic (W.S.L;三等航海士)
1911年  Tropic (W.S.L;三等航海士)
1912年  Titanic (W.S.L;五等航海士)
1912年  Medic  (W.S.L;三等航海士)
1915年頃 役所勤務 (北ウェールズ)
     結婚
1944年5月12日、死亡。享年61歳。
[略:W.S.L=ホワイト・スター・ライン社]




ロウ五等航海士が救命ボート5号の着水準備をしている時、社長のイズメイはやや興奮した面持ちで、 ボートに向かって腕をぐるぐる回しながら繰り返し叫んでいた。
「降ろせ、降ろせ、降ろせ、降ろせ。」
ロウは自社の社長に向かって、大声で怒鳴った。
「邪魔をしないでくれ! もっと早く降ろせだと? 皆、溺れさせろとでもいうのか!!(You will have me drown the whole lot of them !)」
イズメイは何も言わずに、その場を立ち去った・・・
(アメリカの査問会 ロウの証言より )








Photo credits
; April Prichard & Aurora Brynn "Titanic Heroes";<参考文献>

Written by Chie OGATA


[参考文献] [航海士一覧]へ戻る [ホーム]へ戻る