タイタニックのクルーたち
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◆ジェームス・ポール・ムーディー六等航海士◆
(Sixth Officer James Paul Moody)
”You Go, I Will Get Another Boat.”
ジェームス・ポール・ムーディーは、ジョン・ムディーとイヴォアの息子として1887年8月21日にイギリス、スカボローの街に生まれた。 ムーディーの祖父は町長をつとめ、父も公務員であり、地元では有名な一族であった。
ムーディーはキング・エドワード海運学校を卒業し、1911年4月にMaster's Examinationに合格、 帆船に乗船した後ホワイト・スター・ライン社’Oceanic’に乗船勤務した。ここでムーディーはタイタニックに共に乗船する航海士 チャールズ・ライトラー、ハーバート・ピットマン、無線通信士ジョン・フィリップスと知り合っている。
1912年3月、タイタニックに六等航海士として乗船。この最も若い航海士は氷山衝突時に、ブリッジの責任者マードック一等航海士と共に当直をしていた。
最初に見張りからの電話を受けたのが彼である。
最後まで船に残って、避難誘導を行った。
最後のボートA号及びB号が乗っている船員船室の屋根のうえで、くくりつけられているこれらのボートをボートデッキに降ろそうと していた。「滑車はいらない、ボートデッキに降ろすんだ!」とクルーに叫んだのが、彼が目撃された最後の姿であった。
船の沈没と共に死亡。享年24歳。
故郷の街スカボローのマーチン教会には、彼の勇敢な行動と栄誉をたたえてた銘版が残されている。
生年月日:1887年8月21日生まれ。
事故当時:24歳。死亡。
出身:英国 Sarborough
資格:英国海軍予備役 給与: 8.10.00ポンド/月
履歴:
1911年 キング・エドワード海運学校卒業(King Edward VII Nautical School)
Master's Examination合格
1911年 ホワイト・スター社
’Oceanic’
1912年 ’Titanic’
4月15日没、享年24歳。
船の左舷側では、ライトラー二等航海士の指揮の下、救命ボート14号と16号の準備が整っていた。
込み合ってきた二つのボートを見て、ロウ五等航海士が、ムーディー六等航海士に言った。
「次のうち、どちらかには航海士が監督した方が良いんじゃないか?。」
ムーディーが言った。
「君、行けよ。僕は残る。別のボートに乗るよ。(You go, I will get in another boat.)」
ロウは救命ボート14号に乗り込み、ボートを海へ降ろしはじめた。
彼はそのあとムーディーの姿を見る事はなかった・・・
(アメリカの査問会 ロウの証言より )
Photo credits
; April Prichard & Aurora Brynn "Titanic Heroes";<参考文献>
Written by Chie OGATA