「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
 タイタニックのクルーたち
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◆タイタニック就航90周年記念 特別企画◆
〜あなたの「タイタニックに対する想い」をお聞かせ下さい〜

 

皆さまからよせられたメッセージをご紹介します。

*自分とタイタニックとのかかわり・きっかけ
*心に残るエピソード、映画のシーン
*自己紹介
*タイタニックに関する自慢の一品・コレクションとそれにまつわるお話
*当サイトへの感想

2002年はタイタニック就航90周年という節目の年です。あなたも記念に「タイタニックへの想い」へ投稿してみませんか?頂いたメッセージはこのページで順次公開していきます。

投稿ページへ

 

ハンドル名・タイトルなど(敬称略) メッセージ
オオタコ
「タイタニック」
2002年2月22日<金>
タイタニックに関する数あるサイトの中で航海士に焦点をあわせたのは 非常に珍しいとイギリスの友人でショップ・オーナーで第一人者で名を はせるP・B・スミスさんが言っておりました。マードック航海士に対し 熱く語っていることにキャメロンの映画で少なからず悪い影響を与えた だけに日本人でありながら彼のことを正当派で語るこのサイトは今後と もがんばってほしいといってました。

タイタニックの名を知ったのは「世界不思議大全集」という本を読んでか らでした。船尾から斜め後方に撮られたタイタニック号はとても奇妙キテ レツに思えました。てっきり、それが船首だと勘違いしてたからです。映 画「レイズ・ザ・タイタニック」を見たときは混乱してしまい、船首と船尾 がどうなのかっていうことで調べだしたのがタイタニックにはまるきっかけ でした。当時、小学生だった私はよく図書館や書店で関連書を探してまわった ものです。1985年にタイタニックが発見され、ほどなくこの問題は解決 しましたが船体が割れてたのには大変ショックでした。レイズ・ザ・タイタ ニックに深く影響されてたからです。その後、関連書や「SOS タイタニック」 の映画を見てもう虜になってしまいました。イギリスの滞在先がレディング 市になりサウザンプトンと近かったためよく、週末は行きました。QE2や オリアナ号の美しい船体が歓迎してくれましたよ。収入の大半はタイタニック 関連のオリジナル食器や当時の新聞、ポストカードなどを買い求め、今では 日本一のタイタニック・コレクションを自負できるほど集めてしまいました。 私の部屋はもうちょっとしたタイタニック博物館と化しております。

タイタニックが発見される前は半ば伝説化しており事実を曲げられて解釈 されておりましたが今ではかなり事実を的確に伝えられるようになって私 は大変うれしく思います。バラード博士が「人類に対する警告」「謙虚」 こそが大事であるという言葉に深く感心しました。絶対に落ちないといわ れたジャンボ・ジェット機の御巣鷹山墜落事故のなまなましい事件を知っ てるだけに当時は中学生でありながらタイタニック事故とこの墜落事故と の関連は技術過信であると中学生でありながら共通性を見抜きませた考え をもってましたよ。こんな私は亡くなった人たちには申し訳ないですけで タイタニックに対する不思議な魅力は一生、熱が冷めることはないでしょ う。

智恵さんのサイトに来られる方は多種多様な人たちですが映画に感化され た人も私のようなマニアックな人も含めタイタニック事故を風化されない よう智恵さんとともに努力しましょうよ。

 

ichise
2002年2月28日

 

お久しぶりです。ご無沙汰してますichiseです。

前メールをおくってから、かなり時間がたっているようで 忘れ去られたキャラになってしまうところでした。

私の方も乗船していた船が新造船になり、この1年は 慣らし運転で忙しい1年でした。 (タイタニックと違い処女航海も順調でした) 今年の4月からは母校の練習船の機関士で 転勤する予定です。(遠洋航海でオーストラリアや フィジーに行くみたいなのでそれも楽しみです)

タイタニックも一頃に比べると、かなりブームも 収まってきたようで、タイタニックのレプリカの客船 とか、タイタニックを引き上げる計画とかはどうなった んでしょうか?世界同時不況ということで計画自体が 自然消滅していったこともあるでしょうが・・・。 (でもディズニーシーにコロンビア号という客船の レプリカが出来たときは行ってしまいました。 結構レストランとかバーとかは雰囲気出てましたよ。 でも機械の音が全くしないのが不自然かと)

90周年ということでタイタニックの悲劇を考えてみると シチュエーションとしては、世界貿易センタービルの 悲劇とにているかもしれません。しかし宗教や考え方の 違い・憎しみから起きたテロ事件と違って、タイタニックの 悲劇はまだ理性というか人間の尊厳というものが尊重されて いた時代の事故なんだなあと思います。(このような言い方は 不謹慎かもしれませんが)

では、お元気で。

 
二等後悔士
「それでは、記念に」
2002年4月12日(金)
「90周年記念掲示板」より
タイタニック号のような豪華客船に憧れて、商船学校へ。
希望叶わず、母船はVLCCタンカー。

しかし、月の砂漠のラクダも又良しとして、未来の船長へ向けてタラップを駆け上った。
ところが、とんでもない間違いで一航海経つ前に逃げ出したくなった。

月の砂漠どころか、ただの禿山。
小汚いツナギナッパでデッキの上でジリジリと焼かれ、俺はタイヤキ君じゃねえ、と愚痴の毎日。
思えば、船員が最も船員らしくて、幸せだったのはタイタニックの時代だったのでしょう。わずか90年でこれほど船員稼業に魅力がなくなるとは、時代の変化の速さに驚かされます。

クラ
「タイタニック」
2002年4月10日
女性・18歳・大学生・神奈川県在住
タイタニックをどこで知ったのか自分でも記憶にありませんが、タイタニックの映画が上映されたときにはすでに知っていました。始めに映画を見に行こう!と言ったのは友達でしたが、私はなぜかそのとき、船というものに恐怖感があったのであまり行きたくなかったんですけど、友達に無理矢理連れて行かされるはめになり(笑)見にいきました。
私は、映画が始まった数分間から最後までずっとどきどきして、後半の方では船酔いし(笑)気分が悪くなったのをよく覚えています。でも感動は大きっかったー!!

タイタニックで印象に残ったのは、はじめの方で年をとったローズが回想するシーンで、沈んだタイタニックの映像からまだ沈む前のレストラン(?)の入り口のドアがでてきて、それがまた沈んだ後の映像に戻るというというものです。そこにはいろいろな意味がふくまれているんだろうなあと強く感銘をうけました。それから船が沈みかけてジャックに言われたローズが救命ボートに乗り、救命ボートが下ろされている途中一緒に乗った娘と母親が泣いていたり、上をみあげると航海士の一人が必死に救助を求めているシーンです。この人だって家族がいるだろうに・・・と思ってしまいました。
そして一番衝撃をうけたのがマードックが自殺をするシーンです。これはもう言葉がでないくらい自分の胸に突き刺さりました。映画が終わった後も一週間くらいずっと余韻が残っていました。この映画はサントラもすばらしいと思います。映画とよく合っている!!映画をみた一週間後(やっと落ち着いた頃)にCDを買いにいきました!そしてビデオとDVDを買って何回も見ているうちに航海士に興味を持ちそれとマードック役の人が気になってたのですが、結局わかりませんでした。しかしインターネットならありそうと思って、やっと接続してもらい見つけたのがこのサイトでした!見つけたときはすっごくうれしくて一人でよろこんでました!智恵さんホントに感謝してます!!

これからもまだまだ勉強不足なので調べていきたいし、これからもタイタニックそして航海士を愛し続けます!!智恵さんも愛し続けてくださいね〜!!                                                                                                                                                                                                                                                          

菅野
「90年たって 」
2002年4月15日(月)17時34分57秒

 

 

そもそも、自分がタイタニック号沈没について知ったのは自分の祖母が小さいときに「昔々、世界一大きな船がありました。たくさんの人が、その船に乗りました。でも、その船は大きな氷にぶつかってしまいました。船に乗っていた多くの人は、ボートで逃げました。でも、乗れなかった人も多くいました。そして、船は沈没しました。それは、タイタニックと言うお船でした。」と自分に何回も物語ってくれたことがきっかけでした。16になった今でも、なおはっきりと思い出す事が出来ます。この前電話で祖母にどうやってタイタニックを知ったのかと聞くと、彼女の母親が同じく彼女に教えたとの事。多分、曾祖母は新聞の記事で読んだのでしょうか?今となっては分かりませんが曾祖母の代からタイタニック号について代々語られてたんだなと少し感動しました。

今日のオーストラリア時刻で午後12:40分<日本時刻は午後11:20分>タイタニック号沈没から90年が経ちました。オーストラリアの新聞にタイタニック号沈没についての記事がありました。 驚く事に、犠牲者の数が9人増えていました。1522人だそうです。1513人でも相当な数なのにと思うと本当に胸を突かれる思いです。 自分は、これからもタイタニック号について勉強していきたいと思っていますし将来自分の子どもあるいわ孫に代々伝えていきたいと思います。それが、タイタニック号沈没で命を失った犠牲者達への鎮魂になるのだと僕は思います。 最後に、1522人の乗客に心からご冥福を祈りたいと思っています。

 
FAZZ
「タイタニック」
2002年7月 2日(火)
今日タイタニックをShadeで制作して早くも1年半がたとうとしていますが、資料を求めてネットを俳諧しているとマードック航海士のことやらスミス船長のことやらいろいろなことがかかれていますが、タイタニック沈没については船長や航海士たちが船のクセ(たとえば馬鹿でかい船体の割に舵が小さく小回りが効かないなど)を理解していなかったことにあるとおもいます。(たぶん誰でもぶち当たる結論だと思いますが。)この事故を見て船を栄光ある航海へと導くのは結局は人だとつくずく実感します。船の材質などはその当時では改善のしようのないことなわけですし、船体の製造法などはまだ溶接なんか普及してるわけじゃないのだから、そういう欠点をカバーしていくのが大切だな、と感じます。(ってなに言ってるかさっぱりですね、ごめんなさい)

プラスアルファで船のデザインのことなのですが、タイタニックより美しい豪華客船はもうよっぽどのことがない限り出てこないでしょう。(なにやらゴツゴツした船が増えてきてますし)
タイタニックはシンプルイズベストな美しさをもった豪華客船でしょう。しかしそのうらで救命ボートの搭載数を犠牲にしたことを忘れてはならないのですが・・・・・。
いち  
「はじめまして。」
2002年10月29日(火)
女性・20代・会社員・東京都
私がタイタニックを初めて知ったきっかけは・・・よくは覚えてないです。
映画が話題になっていて是非見たい!って思った時に、タイタニックという船が沈没したという事だけは知っていました。(学校で聞いたり、本で読んだ事があったのかもしれません)
映画を見たいと思った理由はとにかく話題になっていたし、私はラブストーリーが大好きだからです。

週末に久々にタイタニックのビデオを見ました。(7回目くらいだったと思います)
始めの頃は、ジャックとローズの恋やただ映画としてのストーリーしか目に入っていなかったのですが見る度にいろいろな細かい点に気付いたり、映画がどの程度事実に基づいたものなのだろうといった興味がわいてきました。
そして「こんなにも悲惨な事故が実際に起こった」という事が本当に悲しく思いました。
亡くなられた大勢の方々やご遺族は、どれだけ苦しい思いをされたことか・・・
映画の中でもとても衝撃的なシーンだったマードックの死。
実際はどうだったのかは分かりませんが、クルーとして必死で職務をはたそうとしたのではないかと思います。
智恵さん。「タイタニックのクルーたち」とても興味深く拝見しました。このHPに出会えて良かったです。
そして更にタイタニックへの興味がわきました。
タイタニックはラブストーリー映画としてもとても感動しましたが、歴史上のとても悲しい事故としても重く、心に残る映画です。
タイタニック号はあと数十年で姿がなくなってしまうといわれていますが、絶対に忘れられてはならない事故、二度と起こってほしくはないと心から思います。

  以下はキャメロン映画「タイタニック」2003年6月27日28日の放映の後寄せられたメッセージです。
ユイ 
「タイタニック」
2003年7月1日(火)
女性・14歳・中学生

初めまして。14歳の中2でユイと申します。私もタイタニックを見てスゴク感動しました。
特にマードック一等航海士が自殺したトコはカナリショックでした。
私はマードックさんが好きだったので本気で落ち込みました。
「タイタニックのクルーたち」を見ていると涙が出てきそうになりました。

一番最初にタイタニックを見たトキからマードックが気になっていましたが今ほど興味はありませんでした。
そしてこの前、タイタニックをテレビで見たとき本気でハマリました。
マードックがキッカケでこんなにタイタニックにハマルとは自分でも思っていませんでした。
タニタニックをもっともっと知りたいと思うようになってきてパソコンを触ると常に「タイタニック」と検索してしまう自分がいて。(笑)
今はビデオに撮れば良かった…(;;)と後悔しております。

ちえさん、これからも頑張ってください。応援していますので。  
 

アンドリューズ 
「タイタニック」
2003年7月4日(金)
男性・14歳・中学生・埼玉県
初めてタイタニックを知ったのは、映画が始まったときです。
最初は、架空の事故かと思ったけど、調べていくうちに本当だと知りました。
マードックの死は、本当に銃での自殺なのでしょうか?
スミス船長は、本当に操舵室にいたのでしょうか?
よくわからないところもあります。
残念なのは、50年後には、バクテリアによって消えてしまうと言うこと。
引き上げはむりなのかな・・・・。
僕がもっとも感動したのは、最後まで演奏した楽団たち。
あのシーンだけは、忘れられません。

hosono 
「タイタニック」
2003年7月8日(火)
女性・34歳・主婦

私は34歳の主婦です。タイタニックとの出合いは中学生の頃、英語の教科書に 出ていた事がきっかけで興味を持ち、物知り父にいろいろ質問したけれど、当時父は「タイタニック嫌い」で「あんな大きな船を作って豪華にしたって、沈む時は沈む んだ!俺はイギリスの船には乗らない。夫人と子供が先だ、金持ちが先だっていうの が許せない。全てが思い上がった行動の結果だ!」と言っていました。 でも私はとっても惹かれ、横浜のヒカワ丸見学乗船など大好きで中に展示してある タイタニックの模型を見て、船内のあちこちを歩き想像を巡らせていました。

映画『タイタニック』は2人の幼子がいたので最終週に一度だけ見に行けました。
行けるか分からなかったのでサントラだけは公開当初から聞きまくり、『BACK TO TITANIC』も後にゲット。四本の煙突を上からくぐり抜けるように撮影されるシーンや海底の船体から当時の船体に変わる特撮、ローズが笛を吹くシーンも大好き。
ロウ航海士が「is there anyone alive out there?Can anyone hear me?!」と声が響き渡るシーンも身が凍る感覚です。

『SOSタイタニック』での転覆ボートに交代で立ち乗りシーンも頭から離れません。

横浜での引き上げ展に長女(当時3歳)を連れて行き事件の重たさを実感。新事実がどんどん発見されていくといいなと思います。海底に浮かぶ1等のシャンデリアの映像はもの悲しいです。現在海底の船体は「サビのつらら」がひどくなり、あと何年かで形が分からなくなるそうですが、引き上げ作業が新技術で安全にスムーズに行われて行く事を願います。

そして事実の解明を!

日本人乗客だった細野正文氏の手記にも大変興味があります。当時の文書体と言う事も同じ日本人である私に響くものがあります。何度も読み返し娘たちにも聞かせ、ビデオも見せ、風化させたくないと思います。長女は今8歳、私の影響でかかなりのタイタニック通。後生に伝えて行ってもらいたいです。
 

HARURINO
2003年7月18日(金)
大好き!!!
ちょー感動した、もう一度放送してーーー!!!
   
Maki
2005年6月10日(金)
北海道 20代 アルバイト

はじめまして。
こんなに細やかに調べてらして、稀に見る素敵なサイトですね!
Chieさんの愛情と努力がうかがえるようです。

私は母に初めて連れて行ってもらった映画館で、タイタニックを知りました。(イタイタニックなら知ってましたが、何のことやら、と思ってました)
何を見るのか把握せずに席に着き、「これ、本当にあった話らしいよ…」 と母に耳打ちされて、熱心に見入っていたのですが…
感情移入しすぎたのか、氷山衝突シーン以降は寒くて寒くて、ガチガチでした。
幼心にも主人公らはフィクションだと分かりましたが、 その背景の物語やセットは忠実に再現してあるだけあって、 本当にその場に居合わせたような錯覚に陥って、震えました。
でもマードックさんに対して悪い印象は受けませんでしたね。
むしろ、ユアンさん演じる懸命な姿を見て、勇敢な方だと感じました。
ピストル自殺のシーンは本当に驚愕しました。
当時はそれが事実だと思い込んでいたのですが、決定的な証拠はないそうですね。
理不尽ですが少し報われました。
私はマードックさんは自殺ではなく、任務を遂行して殉職なさったと考えています。

福知怜著『タイタニック号99の謎』(二見書房)ではマードックさんにはあまり深く触れていませんが、映画では語られなかった事実や証言を、 99項目に分けて謎を投げかけています。 活字が苦手でも気になる項目から読める面白い一冊ですので、ぜひこの文庫はお勧めします。テレビ番組『知ってるつもり!?』で取り上げられた細野正文さんについても載っています。(細野さんのことが新聞のネタになった洞爺丸転覆事故では、祖父の知人が亡くなりました)
それともう一つ、『タイタニックTREASURE OF THE DEEP』というビデオを中古で見つけました。
こちらは1992年以前に製作されたもので、テレビでも放送されたかもしれませんが、 あまりお勧めできません…潜水するまでのドキュメントが長くて、肝心なタイタニッ クはあまり映ってません。
当時はそう数えられていたのか、ただの間違いか分かりませんが、 ジャケットには「1253人の乗客と運命を共にした」とあります。
ただし原価が\1999(税抜)なので、もし見つけたら興味本位で買ってみるのもいいかも…

果たして参考になるでしょうか… 長くなってすみません。 また来ますね!

はなこ
2005年8月19日
40代女性
随分前で 虜になったのはデカプリオの映画より

最後のシーン。朽果てた船が魔法に掛かった様に復元され

乗客も生前のままで・・・このシーンは忘れられません

タイタニックにはまってしまいサウサンプトンへも行きハリファックスでの墓参りにも行きました。

ハリファックスの海洋博物館で タイタニック乗船者の名前が海の色の壁に書いてあり、他界した人は白、生き残った人は黒。何にも言えなかったです、呆然と見つめてました。

墓にはJ.ドーソンの墓石もあり花束が供えてありました(デカプリオファン?)本当はジェームスドーソンさんのお墓だそうです。

自慢のコレクションはタイタニックの一等客用のお皿をオークションで買った事と

姉妹船オリンピック号の一等レストランの壁をオークションで落としてレストランを再現したレストランで食事した事。

そのレストランは映画タイタニックのと全く同じで感激しました。

責任者がキャルに似ていて笑えましたが・・・。

 

山本
2002年04月16日
二等後悔士
(*私-管理人:智恵-の不注意で頂いていた頃にUPできませんでしたのでここへ掲載いたします。山本さん、本当にごめんなさい!)

私は二等後悔士こと、山本と申します。
90周年記念掲示板に書き込ませていただきました。

現在休暇中ですが、休暇前に乗船していた船は豪州のNewcastleに行っていました。
積荷は石炭でした。

その時の上司(一等航海士)はNewcastle在住の人で、一度家へ遊びに行った事があります。
大きい家と庭にギョッとしました。
広さを尋ねたら1エーカーとの事で、とても羨ましく思いました。

私はタンカーの乗船が今まで多く、ペルシャ湾、東南アジアは幾度か寄港した経験がありますが、豪州は初めてでしたので見る物全て目新しく、退屈しない7ヶ月でした。

こないだ、縁あって某客船の船長の一人と一緒に研修を受講したのですが、現在の客船もなかなか大変なようで、その人は休暇中にも拘らず色々な営業に引っ張り出されるようで、少しも休めないと言っていました(決して愚痴ではないようですが、受講中も会社から電話、メールと忙しそうでした)。
そう言う話を聞くと、俺はカーゴで良かったな、とも思います。

これからも憧れの客船を見に、智恵さんのホームページにお邪魔します。
どうぞ、宜しくお願いします。

ところで、クイズですが私には難しいので、パスさせて下さい。

以上

   
 

メッセージをお寄せ下さった皆さま、ありがとうございました。

 


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