「タイタニックのクルーたち(chie's Titanic Officers)」豪華客船タイタニック(Titanic)の歴史、史実、乗組員、クルー、航海士(特にマードック航海士)機関士・設計士・通信士を紹介。自殺の謎、映画の中の航海士、コレクションなど。by智恵-ちえ-
 タイタニックのクルーたち
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◆マードック生誕132周年記念「タイタニック・クイズ」解答◆

 

まずはクロスワードパズルの答えだよ!

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というわけで、最後の問題の答え(A→@→B→A→C)は「ライトラー」です!

 

【解説】マードック一等航海士の親友であり良きライバルであったライトラー二等航海士

チャールズ・ハーバート・ライトラー二等航海士は、マードックらと共にタイタニックに乗船勤務していた航海士で、生還した最も職位の高いクルーです。1900年にホワイトスター社に勤務して以来たびたび同じ船で乗り合わせ、年齢も近かった二人は良き友・良きライバルであったことが伺えます。

タイタニックの沈没事故以来、自殺した士官の噂がアメリカの新聞で報道され、これを話を耳にしたライトラーが、マードックの妻にあてた手紙が残っています。査問会の為にニューヨーク、コンチネンタル・ホテルで逗留したライトラー、そこでしたためた手紙は生還したすべての航海士の署名が入ったもので、彼らの永遠の信頼と友情が伝わる一筆です。ライトラーは査問会で1200以上もの質問に答えました。事故後の彼の人生は、又、波乱に満ちたものでした、詳しくはこちらをご覧下さい。

 

ホテル・コンチネンタル
ワシントン
1912年4月24日

親愛なるマードック夫人

私は生還した航海士を代表して、あまりに大きなものを失ってしまったこの深い悲しみに、お悔やみを申し上げたいと思います。我々のこの気持ちも、言葉で言い表す事ができません。
私は又、新聞で広められた記事に対する反論ついて述べたく、この連絡が遅れた事を深くお詫びします。
私はミスター・マードックを見た事実上最後の男で、明らかに最後の士官であります。彼は折畳み式ボートを発進させようとしていました。私は航海士用船室の屋根にあるもう一つのボートを担当しました。私が左舷側でミスター・マードックは右舷側で作業を進め、乗客を誘導しボートを発進させていたのです。
私はボートを航海士用船室の屋根から降ろした時、もう時間がなく、一旦右舷側にまわって見ました。私は確かに見おろす形でミスター・マードックと彼の部下を見ました。彼は依然としてボートの着水準備の為にボートにからまったロープをはずそうと忙しく作業を進めていました。この最後の瞬間、船は浸水し始めて我々は皆海水に流されたのです。
その他の記事による”最期”は絶対に間違いです。ミスター・マードックは最後の瞬間まで彼の職務を遂行し、亡くなりました。
もし他に、我々がお力になれる事がありましたら、どうぞご遠慮なくお申し出下さい。

 

親愛なる
C.H.ライトラー、二等航海士;
G.グローブス・ボックスホール、四等航海士;
H.J.ピットマン、三等航海士;
H.G.ロウ、五等航海士;

 

 

生還したすべての航海士の署名入りで、ライトラーからマードックの妻エイダに届いた手紙。

 

 

 

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